REPORT
永松真依氏/行動とご縁と、自分への問いかけで形作られる自分のお店
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永松真依氏/行動とご縁と、自分への問いかけで形作られる自分のお店
むすぶしごとLAB.は第一線で活躍する経営者や専門家をお招きし、地方での仕事の作り方や働き方のヒントを探すための実践的な学びと交流の場です。2022年度第5回目の講座では、渋谷でカツオをメインとした「かつお食堂」を営む「かつおちゃん」こと永松真依さんにご登壇いただきました。
永松さんからは、起業までのストーリー、自分の「好き」をしっかり具現化するお店づくりについて学びました。
行動と体験で深めた、説得力ある「カツオ愛」
松永さんがかつお食堂の店舗を構えているのは、渋谷区鶯谷町。ここは、お客様が鰹節をたっぷりと味わえる場所であり、「鰹節伝道師」の松永さんが魅力を発信する場所。
定番メニューの「かつお定食」は、削りたての鰹節が溢れそうなほど積まれたご飯と、カツオの一番だしの旨味をじっくり味わえるみそ汁が特徴です。
松永さんと鰹節との出会いは、今から約10年前。夜遊びが過ぎる様子を見かねた母親から実家に呼び戻されたことに端を発しています。そのとき、祖母が鰹節を削ってくれて、その出汁で作ったみそ汁がとても美味しかったのだそう。
「夜遊びが大好きで、生活も不規則になっていたんです。そんなときに飲んだ、鰹節で出汁を引いたみそ汁が、ものすごくしみましたね」
同時に「日本文化はすごい!」と感銘を受けた松永さん。自分でも鰹節を削りたいと思い立ち、さっそく祖母から削り器を送ってもらい、築地で鰹節を購入。
松永さんは、自身を「物事の根源を突き詰めて、知識を0から積み上げていきたいタイプ」と評します。その言葉の通り、鰹節を使う人はもちろん、材料、作り手、道具、職人に出会う旅をスタートさせました。
最初は、鰹節削り器を抱え「鰹節を削る人」に出会う旅からスタート。そこから、鰹節の製法に疑問がわき、「一番古い鰹節の作り方を学びたい」と静岡県西伊豆町の田子で、現地の職人たちに混じり鰹節づくりを経験。鰹節削り器のメンテナンスにも興味がわき、新潟県の燕三条に足を運び職人から調整方法を学びました。
さらに、カツオ漁の漁師たちの元へも足を運びました。その中の一つ、沖縄県宮古列島の伊良部島では、漁船に同乗して漁を体験。通常は女性は乗れないとされる漁船ですが、人の縁と想い、そして地域が抱える漁業従事者の課題などが合わさり、乗船が許可されたのだそう。
実際に漁業の現場に足を運ぶことで、漁の大変さはもちろん、産業としての課題、そして古くから根付く漁師文化を、身をもって知ることができたそうです。
多くの行動と体験を重ねてきたからこそ、説得力のある松永さんのカツオ愛。
「現場で実際に手を動かすことで『誰がどんな想いで、何を大切にしながら作っているのか』を体感できました。鰹節に興味を持ってから約3年半ほどかけて、北は宮城県の気仙沼市から南は沖縄県の宮古列島まで足を運びましたね。今お店で使わせてもらっている鰹節やカツオは、物の良さはもちろん、作り手の背景や想い、その人自身を見て選ばせてもらっています。全てにストーリーがあります」
パフォーマンスではなく、おいしく食べてもらうもの
行動でカツオへの想いを体現してきた松永さん。ですが、「自分は本当にカツオが好きなのだろうか」と迷うこともあったそうです。
カツオの旅に勤しむ一方、マルシェイベントにも出店していました。正直なところ、売上から出展料と交通費を引くと赤字。それでも、鰹節伝道師として、鰹節の魅力を広めるため積極的に出店していたそうです。
そんな中訪れたのが、「渋谷のクラブで鰹節を削る」というチャンス。これが、松永さん自身が鰹節への想いを問い直すきっかけでした。
クラブでは、特注のスケートボード型鰹節削り器を使い、さらし姿で気合を入れて鰹節削りを披露。自身が削る姿も演出として映し出され、多くの来場者たちは喜んでくれたそう。
しかし、そんな中、1人の来場者から言われたのが、「本当に鰹節が好きなの?鰹節は食べ物。本当に好きなら、食べてもらうところまで繋げるべきじゃないの?」という指摘。
その言葉を前に、松永さん自身「鰹節のおいしさを伝える人」ではなく「鰹節を削るパフォーマー」になっていたと反省したそう。そして、自分は本当に鰹節が好きなのだろうか?本当に好きでないなら、一度しかない人生の中で続ける必要は無いのでは?と考えるようになったそうです。
自問自答しながら、鰹節からしばらく離れていたという松永さん。ですが、改めて鰹節が好きな気持ちを再認識したのは、年末に帰った実家で、久しぶりに鰹節を削ったとき。
「年越しそばの麺つゆは、私が削った鰹節から出汁を引いて作りました。それを姉が一気に飲みほして『おいしい、おかわり!』と言ってくれたんです。それが嬉しくて嬉しくて。そこで、やっぱり自分は鰹節が大好きなんだ、おいしいと言ってもらえるのがこんなに嬉しいんだ、私には鰹節しかないんだ、と強く思いました」
形にすることで、仕事として認められる
自身の鰹節への想いを再認識した松永さん。しかし、もう一つ課題があったのだそう。
それは、真剣に活動をしていても、あくまで「趣味のひとつとして鰹が好きな人」と認識されてしまう事でした。自分の活動を形で示せるものが無かった、とも当時を振り返ります。
そんな折にご縁を頂いたのは、渋谷のバーのオーナー。松永さんはオーナーに自分の想いを伝えたところ、そのバーのアイドルタイムを間借りさせてもらえることになりました。
当時、飲食店経験は無かったという松永さん。ですが、「やりたいと思ったらチャンスは掴みに行く」という信念でチャレンジ。2017年の10月半ばに持ち上がったその話はスピーディーに進められ、半月後の11月には、間借りの店舗として「かつお食堂」がスタートしました。
メニューは、鰹節をしっかりと味わえるようシンプルに「ご飯とみそ汁」。オープン初日は、15名のお客様で始まったそう。そして、口コミや発信を通じて、徐々に客数は増加。そして、間借りとはいえ店舗を構えたことで、徐々に自分の活動が認められていったそうです。
「あるときから、仕入れた材料の請求書が、私の名前から『かつお食堂様』に変わっていました。一生懸命続けてきたことが一つの仕事として認めてもらえて、嬉しかったですね」
雑誌やテレビに取り上げられ、知名度が一気に高まった時期もありました。しかしその一方で、オペレーションの限界がきてしまいました。
あるテレビ番組に取り上げられた翌日は、店のオープン前にお客様が50人以上並んでいたことがあったほど。このままでは、オペレーションはもちろん、自分の体力が持たないし、無理な運営はクレームの元になってしまう。
そんな状況の中、松永さんは新たに自分の店舗を構えることを決意。間借りのかつお食堂が始まって、2年ほど経った時期でもありました。
初日から苦労の連続の新店舗
もともと松永さんは、自分のやりたいことはどんどん人に話していく性格なのだそう。その中で知り合いに「物件を探している」という話をしたとき、不動産会社の社員を紹介してもらい、現在の物件に出会いました。
物件を決定する際は、飲食店を運営する知り合いに内見してもらったり、家族が立地の調査を買って出てくれたりと、協力を仰ぎながら進めていったそうです。
松永さんは、出店エリアは最初から「渋谷区」と決めていました。
「お店は、自分のライフスタイルの延長線上にある場所だし、自分が楽しめる場所でありたいと思っています。それに、『かつお食堂』が始まったのは渋谷区だし、区役所のワークショップも担当させていただいたご縁のある地域。だからお店は渋谷区に構えたいと考えていました」
店舗立ち上げ時は、知り合いの協力のもと施工費を押さえたり、新規開業向けの助成金を活用したりと、出費を減らす工夫も凝らしました。
そして現在の場所に「かつお食堂」をオープンさせたのが、2019年8月。念願の、おいしい鰹節とともに、カツオの魅力を伝えるお店。
しかし、オープン日から苦労を余儀なくされたそう。
たとえば、新店舗内でのオペレーションを考慮に入れられず、アルバイトも雇わずオープン当日を迎えようとしていたこと。毎日スタッフの依頼に追われながら、家賃や人件費を考え続けていたこと。その繰り返しで余裕が無くなり、メニューのクオリティにも影響が出てしまったこと。自分のイライラした態度をスタッフたちに見せてしまったこと。
「想いばかり先行して余裕が無くなると、きちんとしたメニューを出せなくなるし、そういう状況にも目が届かなくなる。お客さんが減ってしまった時期もありました」
自分の得意なことに集中できるように
そんな松永さんが、一旦立ち止まり自分を振り返る機会を得たのが、2020年初頭ごろから始まっていった、新型コロナウイルス感染症の流行のタイミング。かつお食堂を休業させ、店舗経営としても大変な時期でしたが、それがかえって松永さんに落ち着いて考える時間を与えてくれました。
また、自分の気持ちに余裕を持たせる大切さに気付き、普段暮らしている家の中も、自然を増やし松永さん自身がリラックスできるような状態にしたのだそう。
余裕ができたことで、ご飯の炊き方の見直しなど作業レベルのことから、「やりたいこと」「苦手なこと」を分けた店舗運営、店の中で自分が一番神経を使いたいポイントは何かなどを分析できたとのこと。
その結果、松永さんがこだわりたい「削りたての鰹節をすぐにご飯に乗せる」ことに神経を使い、他の苦手なことはスタッフたちに頼る、というスタイルに行きついたそう。また、松永さんが苦手と語る原価計算などは、それが得意なスタッフに任せ、連絡を取り合いながらメニュー価格を決めるようにしたそうです。
「鰹節を削り終わったらすぐにご飯に乗せたいから、そこに自分の神経を使いたいです。そして私は、スタッフに教えたり、オペレーションを管理したり、原価計算するのが苦手。お店ではカツオのことを伝えたいのに、苦手なことをして余裕が無くなるとそれができなくなってしまいます。だからこそ、自分一人になってもできるようにメニューはシンプルに『ご飯とみそ汁』に行き着きました。間借りさせていただいたころの、かつお食堂の原点に戻った感じですね」
「伝えたい」は、大きなエネルギーになる
体験を通しカツオの知識と愛を深め、様々なご縁や応援に恵まれ、そして自分と向き合いながらかつお食堂を続けてきた松永さん。
この店は、おいしいカツオと鰹節を頂く場所であり、松永さんが伝道師としてその魅力を伝えていく場所。カツオに関わる人たちに出会い、体験を通してカツオの魅力に出会ってきた松永さんは、自然の恵みを頂いていることを学び、「鰹節は人の手間暇がかかって出来上がるものだからこそ、価値をつけて届けたい」と語ります。
「かつお食堂で出すご飯とみそ汁のセットは1,000円以上します。高いと思われるかもしれませんが、素材と作り手を考えたら妥当な値段。今は何でも安く買われるようになってしまい、そこで負担を強いられるのは、作る人や育てる人。実は鰹節は、輸送費や燃料費が高騰しているにもかかわらず、今でも30年前と同じ値段で売られています。このままでは作る人がいなくなってしまうし、鰹節文化が無くなってしまう。かつお食堂を通して、鰹節の価値や文化、そして課題などもきちんと届けていきたいですね」
現場に行き、カツオに携わるさまざまな人たちのリアルを見て、それを「食堂」という形で伝え続けている松永さん。
講義の最後は、「伝えたいことがあることは、大きなエネルギーになる」と締めくくりました。
「たくさんの漁師や職人たちとの出会いから生まれた『伝えたい』という気持ちは、自分だけのものではないと思います。そんな気持ちががあるからこそ、かつお食堂を通して『伝えていこう』『自分もどんどんレベルアップしていこう』という、前に進んでいく大きなエネルギーになっています」